小さな村を作ろう。小さな社会から始めよう。

2020年の秋、ニセコの農村で、この構想は始まります。
僕らの未来は、どこで、誰と、どんなコミュニティの中で暮らすのだろうか。
その時どんな仕事をしていくのだろうか?どんな暮らしをしているのだろうか?
未来のことを参加する人と一緒に考えていきます。

背景
当時ニセコで人口の10分の1を受け入れるまちづくり会社の設計顧問として働き、ニセコに住み始めました。その基本計画は後任に引き継ぎ今は建設段階に入っています。しかしそのことをきっかけに都市よりも農村の未来はどうなっていくのか、そこに大きな関心が湧いてきました。というのも都市の改変はまだらに変化し既存の価値観に多く引きずられていきます。大都市から見ると、そこにはあまり魅力を感じずに、理想の暮らしには程遠いからです。まばらに家が広がる田舎の街中の風景は決して美しいようには思えません。今私は山の麓に住んでいるのですが、季節ごとに毎日変わる風景を楽しみ、季節の匂いを感じながら過ごします。動物や鳥を眺め、移り変わる樹木の様子や草花の変化に毎日心を躍らせるのです。春から秋は毎朝釣りに渓流の中を歩きます。雪が降れば、その吹雪の中の真っ白な銀世界を楽しみ、風の音にも静かに心を寄せてみるのです。そうして考えることは人口が減る未来にこそ、農村の可能性はあるのではないかと思い始めたのです。
日本の人口は2050年には8千万人に、2100年には4千万に、今の人口の3分の1以下になるとも言われています。過疎地域ではもっと激しく人口が減るでしょう。インフラの維持もますます難しくなるでしょう。しかし一方でこれをポジティブに捉えることもできるのではないかと。インフラを行政に頼るのでなく、オフグリッドの暮らしを工夫してみることや、お金を使わない社会を考えていくことなど、縮小はするもののそれが豊かであるとするのなら、その環境はまだ自然が多く残る美しい農村にあり、そうした場所で新たな仲間と助け合うことで不安のない暮らしを作っていくことができるのではないかと考えたのです。
私たちは今、インターネットの発達とコロナが原因で、結果的にどこでも仕事ができるようになりつつあります。働き方も大きく変わろうとしています。大きな企業でがむしゃらに働く時代は過ぎたようにも思います。経済成長の時代も終わりを迎へ、多くの人が、お金があることが幸せであるとは思わなくなったような気がします。思い切り自分の使命を全うし、誰もが自分に誇りと自信を持って生きていける時代になりつつあるのです。

お金はなくなる
そんな中、2020年の秋に農村に住む高齢の友人から、ご自身の持っている土地の活用を頼まれました。デベロッパーに売ることも考えていたそうですが、私はリゾートとは離れた農村地域の開発は、その地の自然の風景が壊されてしまうこと、さらに未来にそれが使われなくなった時のことを考えるとそれは避けたいと思いました。そしてその農村風景をさらに美しく整え、誰もの憧れの暮らしの風景を作りたいと思ったのです。その年、縮小社会の未来の都市の在り方を考える研究会も開始し、多くの研究者と一緒に、さまざまな課題を分析し、未来像の構築に時間を費やしてもいました。自然との関係に着目し、景観を考えるためのルールも考えました。そしてさらに経済のモデルも。経済の分野では、特に地域通貨と言われるコミュニティ内で使われるお金の仕組みについて多くの議論をしていましたが、そうした議論を通して、未来は「今のお金はなくなる」と確信しました。今、過去の社会システムが大きく変わろうとしているのです。今のお金に変わるのは、人と人の関係性です。共有経済圏とも言われる社会ですが、交換や贈与が大きなウェイトを持つ社会になるでしょう。その人と人の関係性にこそ大きな価値が生まれてきます。この田舎で過ごしているとその重要性に気付かずにはいられません。そしてこの村づくりのプログラムを作ったのです。

秋田Share Village 丑田さんとの出会い
この村づくりプロジェクトで大切な出来事は、秋田県五城目町で活動をしている丑田さんとの出会いです。彼は2017年に古い民家を譲り受け、それをサポートする若い人たちで体験型の宿泊民家として再生させました。その時のキャッチフレーズは、「年貢を納めて村民になろう」。年貢とは会費のことを指し、それを納めてこの民家を中心とする活動の村人になろうというものです。イベントを一揆と名付け、多くの若者が結集しました。3年間でその数3000人を超えるまでになったのです。しかしその数があまりにも適正規模を超えたこと、またこの仕組みをもっと多くの人に使ってもらいたいと考えたことから、一度その活動を停止し、誰でも使えるプラットフォームの構築に乗り出したのです。その名もShare Village、そこにはさまざまなプロジェクトが生まれています。料理をしながら人が集まれる場所、体験型の農業を行いながら泊まれる場所、森で遊ぶ場所をシェアするもの、田舎だけでなく都会でも泊まれる場所など、それぞれ会員の上限を決めて応募をしています。彼にこのプロジェクトを相談したところ、一緒にやろうと快諾してくれました。ちょうどその時、彼も秋田で3家族のシェアビレッジを計画中でした。そこで組み上げた仕組みをそのまま使わせてもらうことにもしました。今回の構想には彼の存在はなくてはならないものです。
ぜひ下記のリンクからホームページを覗いてみてください
https://sharevillage.co/

人間に残された可能性
近い将来、あらゆることがAIに代替される日が来るでしょう。その時に人間に残されたものは、この自然と向き合いながら、自然を崇拝し、助け合うことの出きる仲間との関係性です。実はニセコでのプロジェクトは残念ながら途中で頓挫しましたが、近くの町の喜茂別で新たプロジェクトが始まりました。かつて多くの人が住んでいましたが今はたった一人だけが住む集落です。美しい場所です。地の利も悪くありません。こうした場所は北海道には、たくさんあるのです。このプロジェクトを小さな村と名づけたのは、こうしたかつて人がいたものの今は誰もいなくなったような村に、インフラがあるうちに小さくもう一度住み始めることが、大きなことから始めるより、新たな暮らし方を実現するにはずっと近道だと思うからです。そしてそれらの小さな村が連携していくことが、やがて大きな力となり、社会の仕組みを変えていく原動力になればと思います。嬉しいことに、賛同者もいくつか現れ、具体的にはいくつかの地域でプロジェクトが進行中です。初めの知来別のプロジェクトを実現させながらその知見を蓄積していきたいと思います。

冒頭に未来の暮らしについての問いかけをしました。答えが向こうからやってくる訳ではありません。未来に向かって自ら進み、自分の未来を手にするためにこのプロジェクトは存在します。

小さな村を作る。小さな社会から始める。

その向こうに輝かしい未来が待っていると信じて。小さな試みがやがて大きな渦になる日を信じています。皆さんとの出会いを楽しみにしています。

最後に
このプロジェクトを考えるきっかけになった背景についてもう少し説明したいと思います。2020年の秋に私はニセコに来ました。ニセコ町が民間と一緒に作ったまちづくり会社の設計顧問としてきました。その後基本設計を終え、今そのプロジェクトは建設段階になっています。そこでの課題が現在の住宅供給不足を補うというもので、人口の約10分の1の受け皿になる町を作るという内容でした。ニセコ町の現状は、確かに住宅は足りていません。しかし50年後を考えた時に、日本の人口は縮小していかざるを得ません。そのために家を作り続けるということに疑問を持ち始めました。そのために都市未来研究会という研究会を作り30人を超える研究者が集まり縮小していく未来の都市のモデルを考え始めたのです。1年間、毎月研究会の発表の場を設けて、またニセコの景観についてのルールづくりも取り組み始めました。
そんな折、ニセコ町でも人が減っていく、リゾートにはあまり向いていない農村地域に住むある高齢の人から相談を受けたことがこのプロジェクトのきっかけになりました。その人はすでに現役は引退していましたが、自分の持っている土地と周りの農地を含めて未来に資産として残したいが、何か方法はないものか、自分には資金はないがこの土地を使って計画をしてもらえないかという話でした。通常で行けばデベロッパーに売って、別荘などの分譲地になるというのが筋書きですが、それがその地域にとって良い解決策になるとは思えませんでした。こうした話はよくある話です。もちろんニセコのように投資家が集まるところはあるものの、通常の土地であればそれを引き継ぐ人もいないのが普通です。一方社会を見渡すと、コロナにより、働く環境は大きく変わり、どこでも働ける人が現れるような時代になりました。そしてそれから2年かけてこの課題の答えに行きつきました。それがこのプロジェクトです。
田舎暮らしをするハードルを下げて、まずは通い始め、住み始めれば徐々にお金のかからない暮らしが実現していきます。スタートでは全てが自給自足というわけにはいきませんがしかしそれを目指して準備していくことは可能です。
またインフラについてもここではオフグリッドを目指してさまざまな装置を検討しています。残念ながらニセコでの計画は、諸所の理由でなくなりましたが、その後、今回の羊蹄山麓の南側の知来別の場所に出会うことができました。本当に美しい場所です。この場所に出会った時に運命的なものさえ感じたのです。全てが壮大な実験です。目指すべきは「お金のない暮らし」「未来への不安のない暮らし」です。ま
だまだ伝えたいことがたくさんありますが、それはお会いした時に。
ぜひ参加をお待ちしています。